リンカンシャーへの旅(7)密猟者たち
話しを進めますね。あんまり色んな所で引っ掛かっていると、定演本番までに全部の曲を紹介し切れなくなってしまいますので。今回は、第三曲『ルフォード公園の密猟者たち』です。
75歳の大工、ジョン・テイラーからグレインジャー自身がこの曲を採集したのは1908年です。そこから遡ること57年前の1851年にリンカンシャー地方の北端に近い小さな村、サックスビー・オール・セインツで実際に起きた事件を題材にした民謡です。
地元では有名なフォーク歌手だったジョン・テイラー本人も、若い頃に起きたこの事件を記憶していたくらいですので、古い民謡と言うよりも、ラジオもテレビも無かった当時、平和な村で起きた大事件を思い起こしては、酒場などで歌ったりしていた曲なのではないかと想像します。
因みにサックスビー・オール・セインツは、今でも人口200人程度の小さな村です。この曲も複数のバージョンがあるようですが、歌詞の意味は概ね以下の通りです。
ルフォード公園は、金持ちだけに許された狩猟場で、庶民が猟をすることは禁じられていましたが、貧しい密猟者が40人くらい出没していました。
猟場の番人たちは、密猟者が手薄になった夜を見計らって、投石とフレイル(棘付の鉄球を鎖で棒に繋いだ武器)を持って退治に行きます。
しかし、密猟者たちは手強く、争いの末、ロバートという番人が投石によって命を落としてします。そして、密猟者一味のうち首謀者の四人が捕らえられ、裁判の結果、村から追放され14年間の強制労働の罰を与えられてしまいました。
牝鹿だろうと牡鹿だろうと、雉だろうと兎だろうと、皆平等に分け与えられるべきものなのに、との9番目の歌詞で締め括られ、途中で以下のコーラスが繰り返されます。
その夜、ラフォード公園で勇敢だった密猟者たちのことを思い出しては、皆も心を奮い立たせようじゃないか!
以上がこの曲にまつわる物語です。捉え様によっては反体制的ですし、抑圧された人々の哀しみを歌っているようにも思えます。
グレインジャーがこの曲に複数のバージョンを用意したのは、老大工の美声に感動した彼が何回も歌って貰い、そのたびにアレンジが違っていたことに由来しているそうです。
しかしながら、吹奏楽版だと変拍子と高音域が多用され、ピッコロやEsクラなど、奏者泣かせの曲であることは間違いありません。
一方で、当時にしてみればまだ日の浅い事件を題材にした曲だったのに、グレインジャーが、あたかも太古の昔から伝わった民謡であるかの様な曲想に仕上げたことは見事だと思います。
蛇足ですが、ホルンの場合は、ゲシュトップの所で1stよりも3rdのパート譜の方がオクターブ高かったのでスコアを確認したら、実は逆だったという事件が起こりました。。