リンカンシャーへの旅(3)それは5月14日の事だった
最初に見付けた『リスボン』の歌詞は、John RobertsとTony Barrandというアメリカのフォークデュオが1998年に発売した『HEARTOUTBURSTS』というCDの中で歌われているものです。このCDの副題は、『Lincolnshire Folksongs collected by Parcy Grainger』で、グレンジャーが1905年から1906年にかけてリンカンシャーで採集したイギリス民謡が18曲収められています。『リスボン』以外の5曲も入っています。
しかし、前述の通りスッキリ感が得られないので、「民謡ならば、若しかしたら歌い継がれていくうちに別の歌詞ができてしまっていたのかも知れないな」と、発想を変えてみました。
案の定、更に良く調べるとグレンジャーより一年前の1904年に採取された歌詞を発見しました。まず、冒頭の歌詞から違っていました。
CD版では、’Twas on a Monday morning, all in the month of May, と歌われていますが、1904年版では、’Twas on one Whitsun Wednesday, the fourteenth day of May,となっていたのです。
つまりウィリアムの最初の手紙は「とある5月の月曜日の朝」ではなく「聖霊降臨祭の水曜日、5月14日のことだった」と実に具体的な日付が特定されていたのでした。
聖霊降臨祭とは復活祭の日曜日から50日後の日曜日です。教会暦なので祭日は毎年移動します。5月14日が水曜日ならば、その前の日曜日は5月11日、更にそこから50日前の3月23日が復活祭の日曜日となります。
そして復活祭の日曜日が3月23日だった年は、1904年以前には調べられる範囲では、1856年、1845年、1788年、1704年の4回ありました。更に、イギリス海軍がリスボンと結びつく年はどれかを検証した結果、この歌詞は1704年の史実に基づいているとの結論をえることができました。
スペイン王位継承戦争(1701~1714)のさ中、イギリスは地中海の制海権を狙って1703年にポルトガルと条約を結び、首都リスボンの港をイギリス海軍の寄港地にします。翌年の8月4日には、イベリア半島の先にあるジブラルタルを陥落させます。この戦いの為に、1704年の5月にイギリス・オランダ連合艦隊が出撃したという事実が分かったのでした。つまり、ウィリアムはその時に出撃したイギリス海軍の一員だったのです。
どうです?すごいでしょ?いくらググってもここまで調べられたのは世界中探してもほかにはいないのではないかと自画自賛してみました。しかし何と言ってもまだ完全にはスッキリしていません。例の軽快なリズムと小気味良いメロディーとにマッチしない歌詞の内容が腑に落ちないのです。
さすがに夜明け近くになってきましたので、この辺で今日はおしまいです。もっとびっくりするネタは既にかなり仕込んであるのですが、続きは次回ということで。
→つづく