リンカンシャーへの旅(4)ウィリアムの本性

おはようございます。清々しい5月の朝です。ええっと、どこまで書きましたっけ?そうだ、CD版とは別の歌詞を見付けて、冒頭から違っていた、でも、歌詞の内容と曲の雰囲気が違い過ぎていてまだスッキリしないという所まででした。

因に1904年版の歌詞に出て来るWhitsunとは、Whitsunday、若しくはWhitmondayとも言い、Whitは、Whiteのことだそうです。これは、聖霊降臨際の日に洗礼を受ける人が多く、その人たちが着ている白い装束に由来しているのです。日本で言えば、喪服姿の女性にちょっととドキドキするのと同じ様なときめきを覚えたのかも知れませんね。

あっ、思わずオヤジスト的な発言でした。お許し下さい。歌い継がれるうちに水曜日が月曜日になったり、5月14日という極めて具体的な日付もうやむやになってしまったりしたのではないかと想像します。

ほかにも違いが無いかどうか読み進めていくと、ありました、ありました。ウィリアムとナンシーが交わした手紙に別の内容があったのです。

ウィリアムには下心があったのです。リスボンに行けば、綺麗な艶っぽいおねぇさんが大勢いて、その中の一人に自分が惚れてしまったらどうする、傷付くだろ?と、ウィリアムは遂に本音を出してしまったのです。

にもかかわらず、健気なナンシーは「そんなの全然平気。その人があなたを悦ばせている間、わたしは脇で立って見てるわ」と答えたのでした。

地理的な位置関係を調べると、グレンジャーが1901年にオーストラリアから移住したロンドンは北緯51度です。東京の北緯40度、札幌の43度より遥かに北なのです。そして、23歳のグレインジャーが民謡を採集したリンカンシャー地方は北緯53度、今でもロンドンから車や電車でも3時間ほど掛かる地域で、日本の近くにあてはめると、カムチャッカ半島のペトロフハブスクという最果ての街の辺りになります。

一方、リスボンは北緯38度です。つまり、イギリスの東海岸に面したロンドンよりもリンカンシャーよりも遥かに南に位置する訳で、そこに向けたざっと2400キロの5月の船旅は、まず北海に出て、ドーバー海峡を抜けた大西洋をイベリア半島沿いに南下する航路になる訳です。

船乗りたちは、戦場で生死の境を彷徨うかもしれない不安よりも何よりも、リスボンに近づけば近づくほど、暖かい太陽と美しい女性たちへの期待に胸を昂らせたのでしょう。

やっとお分かりになったと思います。ウィリアムは薄情な奴だったのです。『防人の歌』や『聞けわだつみの声』的な悲壮感が漂う別れの心情は全く持ち合わせていなかったのでした。

それ故に、この民謡(原題は『William and Nancy’s Parting (ウィリアムとナンシーの別れ)』は、例の通り6/8の軽快なリズムの小気味良いメロディーで歌われているのだと思います。

1704年5月14日にリスボン向けて出撃した水兵ウィリアムが恋人のナンシーを袖にしようとした『リスボン』にまつわる物語は、一旦ここでおしまいです。さて、次はどこに行こうかな? 曲順に従って、ノースリンカンシャーの『ホークストウ農場』にでも行きますか?

ん~ん、それだとグレンジャーの二番煎じなので、面白くないな。そう云えば例のCDは「全部で18曲で、リンカンシャーの花束に取り入れられた6曲も入っている」と書きましたが、その18曲の中に『William Taylor』というタイトルの歌があるけど、このWilliamは『Lisbon』に登場する同じ名前の水兵と何か関係があるのかな? あるとしたらグレンジャーは採集した民謡のうち『Lisbon』だけ花束にして『William Taylor』をどうして入れなかったのかな?こんな疑問が湧いてきました。

あっ、しまった、もう午後練に出掛ける時間だ!という訳で、この続きはまた次回!

→つづく